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和歌山家庭裁判所 昭和30年(家イ)20号 審判 1957年2月01日

申立人 大木スミ(仮名)

相手方 大木太郎(仮名)

主文

申立人と相手方とを離婚する。

本件調停費用は各自の負担とする。

理由

本件申立の要旨は「申立人と相手方は昭和八年頃より内縁関係を結び昭和一七年一一月○○日婚姻届をなしたものであるが、婚姻以来相手方は真面目に働かず、ことごとに申立人に対し脅迫的態度に出たので申立人はいたたまれず昭和一八年○○月頃相手方の許を逃げ出して実家に帰つたが、以来今日まで一〇数年間も別居し、その間相手方とは何等の交渉もなく現在に至つたもので、相手方とはもはや婚姻継続の意思は全くないので離婚を求めるため本申立に及んだものである」というのである。

当裁判所は昭和三〇年一一月○○日第一回調停委員会を開き以後五回にわたり調停を試みたところ、当初相手方は申立人と離婚することに異議はなかつたが、申立人に対し相手方が申立人以外の女性と関係しその間に出来たものであるが戸籍上は申立人との間の子供となつていた長女マサ子(当一二才)――(昭和三二年一月一七日当裁判所においてマサ子と申立人との間の親子関係不在確認の特別審判があつた)――の養育料を請求し、次いで申立人が家出したのは自分が男をこしらえて勝手に家出したものであるとして慰藉料を要求し、更にすでに一〇数年別居はしているが申立人に対しいまだ愛情をもつているから籍を抜くことは出来ない。どうしても籍を抜きたいなら自分の死ぬまで待てと主張し、調停は成立するに至らなかつた。

しかし本件調停の経過よりみるとき、申立人が実家に帰つた原因が当事者の主張の中いずれにあるかはしばらくおき、又愛情の問題が個人の問題であつてその心情の内部に他人が入る余地がないとしても昭和一八年以来今日まですでに一四年を経過しその間当事者の間には何等の交渉もなかつたことが明らかであるから、本件当事者が夫婦であるといつてもそれは単に戸籍上の形骸に過ぎないものといえる。したがつて当事者をしてこのまま不自然な婚姻を継続させるより離婚させる方が相当であると認め調停委員の意見を聴いた上家事審判法第二四条により主文のとおり審判する。

(家事審判官 長尾和夫)

申立の原因

一、申立人の本籍地、出生地は○○県○○○郡○○町大字○○○であります。

一、昭和八年十一月頃申立人は相手方と内縁関係を結んで同棲致しました。

一、結婚当時相手方は表面果物商を営業としておりました。申立人は相手方の人物性格等も何も分らずに結婚してしまいましたが其後相手方が遊び人で商売等はどうでもよく殆んど賭博等にふけつて遊び廻つております。

一、申立人はこういう人と結婚した事を悔みましたがどうかして正業に従事する人として更生させたいと苦心しましたけれども一向に改める風もなく其れがため喧嘩の絶え間もない有様で生活は苦しく申立人は将来の希望を失つて別れる事を決心して幾回となく相手方をとび出しましたが其の都度申立人の居所を相手方に探し出され、脅迫的行為で連れ戻されてしまう有様でありました。

一、内縁関係を結んでから足かけ十ヶ年を経過した昭和十七年十月○○日付申立人の意志に反して正式に婚姻届出を提出したのです。この事も後になつて分つた事です。

申立入は脅迫的に相手方と同棲を余儀なくされていましたが遂に郷里へ逃げ帰る事を思い立つて、戦争たけなわの昭和十九年十一月下旬少しの着衣替を持つたまま相手方を逃げ出しまして途中持つていた着物を売り払つて旅費を工面して逃げ出した日から四日目に郷里へ帰り着きました。

一、相手方と同棲してから足かけ十二ヶ年間(其間数回逃げました)安らかな日もなく苦労のし続けでありましたが事情を知つている身内の者が心よく迎え入れて以来現在まで郷里で細々と生活して居ります。

一、昭和十九年十一月下旬相手方をにげ出してこの方十ヶ年の歳月を経ましたが其間一回も相手方と会つた事もなく又文通もしませんので相手方の状況は何一つ分りません。

一、其後相手方に対し離婚の相談を持ちかけようと何べんも思いましたが、相手方は同棲中常日頃申立人に対し「何処へにげても追つかけて行つて其時は殺してやる」又「お前はオレの籍に入つているからオレが印をつかない限り離婚は出来ないから一生涯困らせてやる」と脅迫しておりましたので恐ろしくて今日まで経過してしまつた事情であります。

一、現在のままでは相手方が放言したように一生涯不幸になりますので又一身上非常に支障が多いので正式に離婚したく本日この調停申立を為したるものであります。

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